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6月9日
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4月8日
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4月6日
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【簿記2級】第127回試験(2月実施)の結果を掲載しました。

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こころに響くことば

2010年12月
『通ずれば其の礼する所を観る (八観より)』
− 安岡正篤 −
 
今年もとうとう師走を迎えました。この数日は寒冷前線の影響での大荒れでしたが、雷は日本海側の「雪起こし」といって雪を招くそうです。 思いがけない師走の風の被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
幾分、心ぜわしくなって参りましたが、このような時期だからこそじっと腹を据えて、いざという時の行動のために、世間や物事の成り行きを見守る必要があるのかもしれません。

今月は人間を見極める「人間観察法〜八観」を安岡正篤氏の著書からご紹介させていただきます。

「八観」とは、八種類の人間観察法です。

(1)「通ずれば其の礼する所を観る」
 地位のある役職に就いて、何を尊重するようになるかを観察しますと、それになりに人物を知ることができます。

(2)「貴(たか)ければ其の進むる所を観る」
 地位が上がるとどういう人物を進めるか、人物ばかりではありません。ゴルフを進める人、囲碁を進める人とか、その進めるところで人物が判ります。

(3)「富めば其の養う所を観る」
 経済的に恵まれてくると、何を養うのか、これはいい着眼となります。財ができると家を建てるとか、骨董品を集めるとか、動物を養ったり、女性を養ったり、とその養うところにより人物を観察できるのです。

(4)「聴けば其の行う処を観る」
 聞いても聞きっぱなし、で実行しない人がいますし、すぐに実行に移す人もあります。他人の善言を聞いてどうするか、を注目することは人物を知る一手段になります。

(5)「止(いた)れば其の好む所を観る」
 止まるという字は足趾の象形文字です。あるところへ達すること、そこで止(いた)ると読みます。またとどまる、とも読み、そこに行き着くことです。
 例えば重役になったら、ゴルフをするようになった、などの観察結果です。

(6)「習えばそのいう所を観る」
 習熟すると、どういうことを言い出すのかを観察します。これも真に切実なことで、碁を打っても、将棋を指しても、楽器をやっても、習熟しますと言うことが違ってくるのです。その言うところで人物観察ができます。

(7)「窮すればその受けざる所を観る」
 人間ですからいいことばかりではありません。窮することも出てきます。貧窮しますと人の援助を何でも受けようとします。そのような境遇にあって、何を受けないかをみて人物を観察します。受けるところではなく、受けざるところを観るのが妙味です。

(8)「賤しければその為さざる所を観る」
 賤しくなると、何をしたって構うものか、といって人間、何でもやってしまうのか、そのような境遇になっても、何をしないのかを観察するのです。

 人生の真の目的は「人格的成長」です。地位や財を得たり、学問的に成功したりすることが目的ではありません。それらはある地点での目標なのです。
人生におけるあらゆる場面において、我々を成長変容させてくれる課題は次々に与えられています。その課題をどのよう乗り越えていくかが、まさに人物として成長していけるのではないでしょうか?人生の最後の一瞬まで、楽しみなことだと思われませんか?

(華)
2010年11月
『 不可能なこととは、私たちがまだ学んでいないことに過ぎない 』
− チャールズ・チェストナット(米作家) −
 
先月は秋らしい爽やかさの少ない曇天の多い10月でした。そしてもう霜月。朝夕の冷え込みも一段と厳しくなりました。インフルエンザも流行の兆しをみせています。どうかご自身の健康管理にご留意ください。

今月は行動するときに湧いてくる「失敗したらどうしよう」とか「ひどい苦労が伴うのでは・・」「危険だ!」という不安感・恐怖感について乗り越えるために考えたいと思います。

我々はともすれば未知のものごとや、自分の理解を超えるものに対して、「そんなことは無理!」とか「そんなことをできるはずがない!」と思いがちです。

しかし、「無理だ!」「できない!」というのは、その人の思いや意見に過ぎず、真実とは異なるのだと考えを改める必要があります。

真実は、「私はまだそれを知らない」「やりかたが今は分からない」ということに過ぎないのです。

どんなに不可能に感じられることでも、やったことがある人から見れば、それは可能であり、もしかしたら思っている以上に簡単かもしれません。

それにもかかわらず、「無理だ!」「できない!」と思ってしまうと、夢実現の可能性からは当然、遠ざかってしまうのです。

何かにチャレンジするときに、周りからも「危険だ」「無謀だ」とか言われ、自分自身の恐怖心からも怯えてしまいがちで決断も行動もできません。

しかし、それは単に、まだ経験していない、今はやり方がわからない、まだ自分はそれを学んでいない、ということを言っているにしか過ぎないのです。

必要なのは、その夢を実現する方法を知っている人を探し出し、その人から教わったり、あるいは誰も実現した事のない夢であれば、不可能と思える夢を実際に実現した人々に学ぶ事が必要でしょう。

夢を実現、願望を実現させたいなら、学ぶためにまず第一歩、行動を起こしましょう! (華)
2010年10月
『 人は心構えを変えることによって、
なりたい人間になれるということである 』
− ウィリアム・ジェームス(哲学者・心理学者) −
 
今年は9月末まで厳しい猛暑が続いた異常気象でしたが、10月に入ってやっと秋らしい爽やかさが訪れてきました。暦では8日はもう「寒露」節となり、朝夕は肌にやや寒気を感じ始める候、となって参ります。どうかご自身の健康管理にご留意ください。

ところでウイリアム・ジェームスは、1907年に『プラグマティズム』を刊行した、19世紀後半のアメリカを代表する哲学者であり心理学者です。この実用主義派には実践教育論で日本にも影響を与えたデューイなどがいます。

そのプラグマティズムとは、ギリシャ語のプラグマから発した言葉ですが、行動を人生の中心に据え、思考、観念、信念は行動を指導すると同時に、その反対に行動を通して改造されるものである、という考え方をしています。

さて、多くの人たちは人生をより良く変化させようとして、まず知識やノウハウ、スキル、新情報などを手に入れたいと思うのではないでしょうか?

確かに、新しい知識やノウハウ、スキルなどを学ぶ事もとても有効ですし、たいへん重要だと思います。

しかし、大きな自己変革や自己成長をするには、実は自分自身の考え方、ものの見方や心構えを変えることが肝要になってきます。

この内的な自己変化は、どのようにして起こるのでしょうか?

それは知識やノウハウ、スキルなどを学んだだけではなかなか身に付かないことは誰しも経験がお有りではないでしょうか? また真の意味で、気づきや理解を深めたりすることは難しいことでしょう。

ではどうすれば良いのでしょうか?

それは行動や体験をすることにより、経験知を得ることです。

この行動や経験・体験によって得られる気づきや感動は、より深く記憶や魂に刻み込まれ、潜在意識にも深く刻まれるのです。

思考、観念、信念などの心構え次第で、実際に行動することにより、自身の殻を破り、さらに器が大きくなります。 またその思考、観念、信念などが変化成長したり、強化されたりして、さらに行動が喚起されることとなります。

基本的に人は誰でも大器になれる素質をもっています。同じ知識、ノウハウ、スキルでも、経験知によりさらなるシナジー効果を発し、なりたい人間に変わっていけることは間違いないようです。(華)
2010年9月
『 目標をらくらく実現しよう 』
 
今月8日には暦では「白露」です。秋も本格的になり草や葉に白く露が見えるようになるころ、といわれています。しかし、日本では33度以上の猛暑日が続き、秋の気配はまだまだ先の感があります。熱中症で300余名の方が亡くなられたり、この異常気象はどこまで続くのでしょうか。

さて先日、とあるメルマガで偶然、面白い記事を見ました。出所を失念してしまったのですが、私の経験上でも納得し、内容がとても良いと思いましたのでお伝えしたいと思います。

「目標をらくらく実現する」ためには・・・

まずは「自分だけでなく周りが幸せになるような願いを持つ」ことなのです。例えば・・・

「良い結婚したいな!」だけでなく
「明るい家庭を築いて、周りの人を幸せな気持ちにしてあげたい」の願いをもったり

「お金持ちになりたい!」でとどまらず
「これまでお世話になった人にお礼や御馳走をしたい!」

「車が欲しい!」だけにとどまらず
「おばあちゃんの介護の手伝いをしたい」というように

なにか自分の周りにいる人のために役立つ目標を持つことで
周りからの応援ももらえやすく、夢を実現化させやすくなるのです。

ポイントは
「恩返しを目標にすること!」です。

「今、私が生きている」ということはこれまでにたくさんの「恩」を受けているのです。

この世に生まれて、それがたとえひどい環境で育ったにしても あなたにご飯を食べさせてくれた親や、そのほかにいろいろと 手を差し伸べてくれた人がいたからこそ、あなたの存在があるのです。

つまり、恩(親、師、地など)を受けていない人はいないですよね。

「お世話になったあの人に恩返ししたい。そのために・・・」

というふうに、目標を立て直してみてください。

病気が早く快癒する患者さんは、治療してくれる医者やスタッフの人の ためにも早く良くなって喜ばせよう、と考えるそうです。

恩返しを目標に、まず自身が「人を喜ばせたり、幸せな思いにしてあげたい」と心豊かになる必要があります。不思議に目標がらくらく実現です。 ぜひお試しください。 (華)
2010年8月
『信念はすべてを可能にする魔力である』
− 謝 世輝 (作家) −
 
今夏は猛暑が続き、熱帯夜に疲れた身体が微かでも涼風が吹くと「涼しさ」が快いものです。7日は暦のうえでは「立秋」となりますが日中の夏日は衰えをしりません。熱中症などにかからないように体調管理にはご留意ください。

ところで表題の『 信念はすべてを可能にする魔力である 』の言葉は、昭和57年に出版された「信念の魔術」という当時、東海大学教授であった謝世輝氏の著作、ポケット実用書です。内容は今も新鮮で驚くことばかりで、脈々と生き続けています。

著書の中で謝氏は、「信念は、常識では不可能と思われることを可能に転化させる不思議な魔力をもっている」と述べ、氏自身が最悪の条件下で奇跡的な実現をしたのはなぜか?について語られています。

「不可能を可能にする信念」を強めるために、次の三つの事を留意されたそうです。

一つ目は「悪条件の幸せ」です。多くの人は諸々の悪条件を嘆きます。しかし、裏を返せばそれらの悪条件が実は多くの可能性を与えているのです。実はその一切の災いのなかにこそ幸せへの芽が潜んでいるのです。

二つ目は「コンプレックスをなくすこと」です。たとえば落ちこぼれだったからこそ、つまり自分の個性を貫き世界一になれた、などという話は数多いものです。コンプレックスに苦しみ悩んでいる人は、逆にそれをパワーとして活用したいものです。

三つ目は、「与える(尽くす・愛する・献じる・奉じる)ことの重要性」についてです。与えることの幸せもさることながら、与えることによって自己が大きく飛躍するという、近代合理主義に反する”見えざる真理”があるのです。

さらに重要な点は「なぜ、多くの人が想念しても願望が達成できないのか?」を種々の要因を三つ挙げられています。

一つ目は「本当にうまくいくだろうか?」と懐疑的だったり、「秋にはいつもゼンソクがひどくなるんだ・・・」とか潜在意識に恐怖心が有る場合です。

二つ目は「怒り」「憎しみ」「妬み」の心です。自分の心はおろか、宇宙の心に悪い種を蒔いてしまうのです。怒りや憎しみは自分の身体にも悪い影響を及ぼします。その感情は生理的に体内に毒素を造りだし、身体を害するのです。病気の治癒も不可能にします。

三つ目は「感謝が足りないことと、不平がおおいこと」です。「有り難い」と思う心は宇宙の心に良い種を蒔きます。

アデイントンが「どんな些少なことでも享受している恩恵は、感謝するにはあまりにも小さいということはないのである」「あなたに神癒が現れるのが遅くて待ち遠しい時は、まず”でに癒されました。ありがとうございます”と感謝してごらんなさい。」と。

May there be enough clouds in your life to make a beautiful sunset.

日没のとき、雲が多ければ夕焼けは美しく見えます。もし、雲がなければ日没はそれほど美しくは見えません。同様に、安楽・単調をもとめた人生は何ともつまらないことだと老年になって感じるでしょう。多くの障害と闘ってこそ、のちに人生が有意義であったことを実感し、感謝できるでしょう。  (華)
2010年7月
『学びつづける「青春」』
− 水谷 修 (作家) −
 
七夕が近くなり、夜空では「夏の大三角」が美しく見られることを祈りたいものです。二十四節気では7日から「小暑」に入り、陽足は徐々に短くなってきますが、ますます暑さが本格的になりますので健康管理にご留意ください。

ところで去る3日、読売夕刊に作家、水谷修氏の<学び続けるという「青春」>という読書エッセイが掲載されました。書籍名は「無知の涙」永山則夫、死刑囚の著作です。

『永山氏は5才で親に捨てられ、北の果ての網走で極貧生活を送り、19歳のとき在日米軍住宅から拳銃を盗み、4人を殺害したのです。逮捕され29歳の死刑判決後からの数年間、ただひたすら読書と思索を続けてまとめた手記です。る。大きな罪を犯し、独房の限界状況のなかで学び、叫び、泣く・・・。「もし、自分が無知でなかったら!」と。

彼はまさに一生を「青春」として生きました。苦しいから、辛いから、悩んでいるからこそ、ただ、ひたすら学び続けることの大切さを伝えるのです。
そして永山則夫は48歳で処刑執行されました。』
そして水谷氏はこの著作を読んで、さらに自分も生涯、学び続けたい、と結んでいらした。

思春期から青春前期というのはいわゆる「疾風怒涛」の激動時代です。希望と不安の混沌としたなかに生きています。だからこそ人生の「学び」が必要なのですが、これを読みながら、青春期にかぎらず一生、青春したい・・・つまり「人生を学び続けたい!」と思わされました。

「学び」とは知識・技術習得のみにあらず、人間存在、人生の意義、自分のありようが人間関係の中で観えてきます。学びは多く、そして深い・・・。人生での学びとはつまり「自己究明・自己探求」とよく言われます。が、なるほどと共鳴するものです。

併せて想起したのが”Samuel Ullman”の「YOUTH」という詩。

“Youth is not a time of life; it is a state of mind; ・・・

長い詩なので英文は省略しますが、以下、岡田義夫氏の和訳をご紹介します。

「青春 とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。

優れた創造力、たくましき意志、炎ゆる情熱、・・・・(中略)

こういう様相を青春というのだ。

年を重ねただけでは人は老いない。・・・・(以下省略) 」

歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。

人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。

希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。 

(詳しくはこちらをごらんください。)  (華)
2010年6月
『 人事を尽くして天命に従う 』
− 松下幸之助翁の叙述から −
 
今年ももう6月、梅雨の時期が到来しました。6日は「芒種(ぼうしゅ)」といって稲のような芒(のぎ)のある穀物の種まきの時期でもあります。

さて、年初に定めた自己の年度目標は達成できているでしょうか?前半までにかなり進んでいる人はかなり着実な計画と実行だったといえましょう。とてもおぼつかない、という人も今年の後半の目標を絞りなおして前半の結果を検討しつつ、一歩でも前進を試み、人事を尽くしていきましょう。    

今月も松下産業創業者の松下幸之助氏の叙述から感銘を受けた言葉を以下にご紹介いたします。

「人事を尽くして天命を待つ」出典:『読史管見(とくしかんけん)』宋代の儒書で、胡寅(こいん)著のなかに「盡人事待天命・盡人事而待天命」が表記されています。

この言葉に対し、松下幸之助氏は次のように述べられています。

『人間の運命というものは、ほんとうに分からないものである。だから、いかなる場合も悲観してはならない。志を失ってはならない。人事を尽くして天命に従う。素直な心で、天命に従って生きることで、自らの運命も開けてくるのではないか。』と。

この叙述には本当に含蓄のあることばだと思います。今日の味方が明日の敵、といったりすることがありますが、昨今の政治の動向をみていても然りで、ご承知のように物事や事象は良くも悪くもいつも変転万化していくのですね。

眼先に生じている現象に右往左往するのではなく、素直に天命に従って、人間が為すべき道に進んでいれば、おのずと道は開かれるものだと述べられているのです。天は自ら助くる者を助く、という言葉もあります。

もし仮にいま、絶望するような時であったとしても、諦めたり、投げ出したりしてはならないのです。一生懸命に「的」を得た努力、また「何が重要なのかを念頭において」続けていれば、必ずまた運が循環してくるものです。

現代の超スピード時代に、我々はじっくりと物事を考えたり、忍耐することの機会を失っています。日常の忍耐努力をして、機会が熟すのを待つことが必要と思われるのですがいかがでしょうか? (華)
2010年5月
『学ぶ心さえあれば、万物すべてわが師である』
− 松下幸之助 −
 
青葉若葉に薫風の季節ですがいかがお過ごしでしょうか?ゴールデンウィークに続き、東京地方は快適な天候が続いています。ただ、エルニーニョ現象のせいか4月の冬日やこの五月の夏日の季節の乱れには驚かされますね。

季節の営みは、われわれ日本人にとって人生の指針にもなる重要な現象ですが、環境が激変してきているので我々の健康にも乱れが生じています。
中国に「天人合一思想」があり、自然界に存在する形や生起する現象が、人体のなかにもあり、生起するという考え方です。食物も旬のものを食するのが良い、とされるのは四季の食物が季節にあわせた薬効があるのです。 健康管理には季節の旬の食べ物をと、留意したいものです。

さて、今月のこころに響くことばは、松下産業創業者の松下幸之助翁のことば、以下全文をご紹介いたします。

『学ぶ心』

学ぶ心さえあれば
万物すべてこれわが師である。

語らぬ石、流れる雲
つまりはこの広い宇宙、

この人間の長い歴史、
どんなに小さいことにでも
どんなに古いことにでも

宇宙の摂理、
自然の理法がひそかに
脈づいているのである。

そしてまた
人間の尊い知恵と体験が
にじんでいるのである。

これらのすべてに学びたい。

(華)
2010年4月
『自 戒』
− 相田みつお(詩人) −
 
桜開花も順調に北上し、4月初めの土日は東京近辺では花見客で混雑したようでした。「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」とは作家の林芙美子の言葉ですが、春は花嵐で強風や冷たい雨に見舞われることが多いです。なんとか桜花が長持ちしてくれるのを祈りたいものです。

さて、今月は人間の生き方への示唆を詩にされている相田みつおさんの心に響く詩をご紹介します。ときにはじっくり自分と向かいあってみましょう。

『自 戒』

つらいことが多いのは
感謝を知らないからだ

苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるからだ

悲しいことが多いのは
自分のことしか分からないからだ

心配することが多いのは
今を懸命に生きていないからだ

行き詰まりがおおいのは
自分が裸になれないからだ

(華)
2010年3月
『人生は一度きりだから 一つの道を一途に生きてゆきたい』
− 坂村 真民(詩人) −
 
春三月、太陽も明るくなり、いっせいに芽吹きも始まり、じっとしていられなくなる季節です。心身ともに閉じこもりがちになっていたなら思い切って扉を開き「気」を入れ替えましょう。またそれぞれ新しい歩みを始める人たちへ暖かいエールを送りたいと思います。

大宇宙の哲理を解りやすい言葉に換えて生き方を教示してくれる坂村真民さんの詩が大好きです。次の「燈心」「念根」という詩もあれもこれもと煩瑣になりがちな人生の生き方をスカッと筋を通してくれる詩です。

≪燈 心≫

狭くともいい
一すじであれ
どこまでも
掘りさげてゆけ
天の一角を
見つめろ
いじけるな
あるがままに
おのれの道を
素直に
一途に
歩け

≪念 根≫

念は根である
祈りの根がしっかりと
大地に深く広がり
力を持っておれば
花は おのずと
大きく開き
念は必ず成就する
これは天地宇宙の
原理であり
摂理である
お互い
念の根を
しっかりしたものにしてゆこう

自分はどのような人間でありたいのか、どのような生き方をしたいのか、つまり人生の本質にかかわる、自分の花の咲かせ方を考えてみませんか? 自分をあるがまま、長所も短所もすっぽり等身大に受け容れ、そのうえで一途にひとつごとを続けることが良い花を咲かせられるのではないでしょうか? (華)
2010年2月
『習慣に早くから配慮した者は、人生の実りも大きい。』
− 日野原重明 (聖路加国際病院) −
 
節分を迎え、気候も冬と春のせめぎあいか、東京も1日夜から雪となりました。雪で清めて立春を迎えられるのはいかにも慶ばしい、と思う次第です。

さて日野原先生はご周知のとおり、現在99歳で現役、聖路加国際病院の名誉委員長・理事長でもあられお元気に活躍されております。

新老人の会(www.lpc.or.jp)の提唱者であったり、まだ記憶に生々しい、平成7年の地下鉄サリン事件の際、事件後直ちに日野原先生の判断により、聖路加国際病院では当日の全ての外来受診を休診にして、速やかに医師・看護士・スタッフ総動員で被害者を受け容れました。同病院は被害者治療の拠点となり、ラッシュ時に起きた事件犠牲者を最低限に抑えることに繋がりました。医療に携わる者の瞬時判断指令の鑑と思われるものです。

このような一刻を争う判断さえも、やはり多くの良い習慣が身についておられたのではと推察するものです。また逆にメタボリックシンドローム、高血圧、心臓病などの病気もつまるところは「生活習慣病」といわれ、良くない習慣をだらだら続けていることが病気の誘引と言われています。

毎日の生活態度、行動パターン、食べ物、嗜好、心のくせ、など一旦身についてしまうとなかなか変えにくいものです。それが次第に性格や人格を形成していくのです。何を食べ、誰と付き合い、どのように暮らすか、などで本当に差が出てしまうのは明々白々の事実なのはご存知のはずです。

今年は変革の年、自分で変えたい、止めたいというような習慣があれば、ノートにピックアップし、できることから変えていきませんか? たとえばダラダラ見ていたテレビを止め、良書を友として30分読む、という習慣に変えるだけでも、年間何冊の書物が読めるでしょう。 出勤ぎりぎりまで寝ていたのを、30分早く起きて駅まで歩けば体力、筋力作りに、毎日のアルコールやタバコを3分の1減らせば肝臓や肺への負担軽減と時間とお小遣いの節減に、といったように少しだけ変えていきましょう。 それでも「継続は力なり」5年、10年さらには20年後には、きっと素晴らしい収穫があるはずです。(華)
2010年1月
『 人間は気高くあれ、情け深くやさしくあれ!
 そのことだけが、われらの知っている
一切のものと人間とを区別する。 』
− ゲーテ 「神性」(1781年頃の詩より) −
 
新しい年の幕開けを皆様どのようにお迎えでいらっしゃいましょうか?
東京地方は松の内の7日あたりまでは晴れる予報が出ています。四囲の空気や空も澄んで快く、精神的にも自分をさらに磨こう、と意欲が湧いてきます。
また、雪国の皆様にも自然の厳しさから忍耐と鍛錬を学ばれることでしょう。

さて今月は、若い頃によく読んだゲーテの格言集から心に響くことばをご紹介いたします。新鮮な感性、深い知性、豊かな愛情ある人間的魅力にあふれたゲーテの言葉は、今昔問わず共感し感銘を受けるものです。人間行動の基準というか、プリンシプル(原理原則)があり、人間の品位に関わっているからではないかと思います。

ところで4,5年前に「国家の品格(藤原正彦著)」という本が出版され、世間の耳目を集めました。その後、「品格」という言葉がブームとなり品格本が数々出版されたことは周知の通りです。

品格とは何か?とは、なかなか簡単に言い表せるものではないようです。私自身、「気品の研究」として心理学的測定法でアプローチをした経験がありますが、結論を出すにはかなり無理があったような記憶があります。これが「品格」だ、「気品」だ、と誰もが納得できるものが安易に抽出できるものでもないのでしょう。

しかし、全人類にとって品位のある人間の共通項はあると思うのです。人間としての品がない、品格がない行為をしている人に出会うと、相対的に品格、品位とは何かと感じさせられるものです。品位を身につけるには、逆にそのような行動や精神を鏡として、反面教師として学ぶことが第一歩と思います。

その品位のないひとつとして「物欲しげ」な行動を取る人物のことです。物欲しげな、ということは、まともな手段でなく他人から金品を巻き上げる、さもしい根性である、とエッセイストの木村治美氏も述べられていました。

昨今、国交においても、また市井人のあいだにも、この物欲しげな、ゆすり、たかりの根性を見受けて、目を覆いたくなります。
先述の木村氏は『品格に欠ける人々は、物欲しげであるとき、それを手にするのがフェアでないと充分に承知をしているのではないか。承知はしていても、それを手に入れたいのはプライドに欠けるからであろう。(日本人の品格より)』と述べられていますが、まったくその通りと膝を打つものです。

品格に欠ける、のは人間として自立するというプライドも捨てているのだと思うのです。プライドを捨て一見、ラクをして他人から巻き上げたいのです。
卑近な例で恐縮ですが、女性でも男性でも、相手におごられて当たり前の感覚で、むしろ「やったぁ」とほくそえんでいる人も多いのには驚きます。結婚前の娘を持つ母親なども、相手がいくら稼ぐか、だけが結婚承諾の鍵となっていることなど、本末転倒も甚だしく「お育ち」が悪いと残念に思うのです。

品格というのは「物欲しげ」なペットのように他者依存して短絡思考に生きることではないのです。いかなる条件であれ、自分の及ぶところ精一杯の自助努力するなかでこそ、凛として気高く品位が育まれていくのだと思います。

しかもそうして自ら努力精進して「人事を尽し天命を待つ」ときにこそ、はじめて人の情けや愛を感じられ、大きな安心感のなかで生きられるのです。
精一杯生きてみないと、このゲーテの「人間は気高くあれ、情け深くやさしくあれ!」を真に了解できないと思われるのですがいかがでしょう。(華)
2009年12月
『 志を立てよう 』
− 松下幸之助翁 −
 
「光陰、矢の如し」でもう師走です。まだ暖かい日もありますが、これからはさらに北風が強くなり、雪も多くなります。冷えや乾燥から身を守り、経済の冷え込みで心まで冷え切らないように養生したいものです。

今月は先月に続き松下幸之助翁のことばを以下全文を紹介させて戴きます。時代が混迷したときほど個々人の勇気ある「志」が大切に思われます。家庭、社会、国家、世界へと良い地球にするためにも仕事でも思想でも「志民」が多くなることを願うものです。

「志を立てよう」

本気になって、真剣に志を立てよう。
生命をかけるほどの思いで志を立てよう。
志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。
志を立てるのに、老いも若きもない。


そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。

今までのさまざまの道程において、いくたびか志を立て、
いくたびか道を見失い、また挫折したこともあったであろう。

しかし、道がない、道がひらけぬというのは、
その志になお弱きものがあったからではなかろうか。
つまり、何か事をなしたいというその思いに、
いま一つ欠けるところがあったからではなかろうか。

過ぎ去ったことは、もはや言うまい。
かえらぬ月日にグチはもらすまい。

そして、今まで他に頼り、他をアテにする
心があったとしたならば、いさぎよくこれを払拭しよう。

大事なことは、みずからの志である。
みずからの態度である。

千万人といえども我ゆかんの烈々たる勇気である。

実行力である。

志を立てよう。

自分のためにも、他人のためにも、
そしておたがいの国、日本のためにも。

(華)
2009年11月
『 厚くすべき所の者に於いて薄くする者は、薄くせざるなし 』
− 孟子・盡心上 −
 
11月は立冬過ぎると急に寒さも厳しくなったり、また小春日和の穏やかな日もあったりの変化の多い季節です。春もいきなり暖かくなりませんが、冬も行きつ戻りつしながら寒くなっていくのですね。

さて、今月の心に響く言葉の意味は、ほんとうは手厚くしなければならないところに、「そのような必要はない」と考える人は、すべてにおいて手薄くなりやすいものである、ということです。たとえば親子関係においても、自分の子供に愛情を注げない非情な人間は、まして他人や他人の子供になど優しくできないものです。

この言葉は、ふだん我々が何気なく他人と交際して感じ取れる、その人の人間性の一面を言い得ているのではないでしょうか? 人間は言葉より行動の方が真実を物語っています。言葉ではいろいろと言い繕いができるもので便利な反面、真実味に乏しいものです。相手の真実の心を知りたければじっくり行動を観察することが肝要に思います。

現代はとくに老若男女に問わず、自分にだけしか関心のない、愛(agape)の少ない人が多いように感じられるのは私だけでしょうか?

ところで、いったい幸福とは何でしょう?

愛(agape)がもっとも幸福感を高めてくれるものだと思いますが、物やお金に傾きすぎるように思います。お金や物はあっても不幸な人生を強いられることもあります。

世界経済恐慌もあるこれからの時代に、心豊かに暮らすためには、愛(agape)の思想で忘己利他の精神を強化することが、ひいては自分の幸福になるのではないでしょうか?

ちなみに友愛精神を謳った鳩山総理の理念は、民主党の「コンクリートから人へ」という政策として、地球や人に温かく優しく聞こえてきます。 多くの難題が重なる中、その言葉が真実となるよう、行動(政策実行)でどのように達成されていくのか厳しく見守りたいと思います。愛よりお金、という拝金主義時代が終焉しつつあり、新たに友愛時代の訪れを平成維新として期待を寄せている人々も多いのではないでしょうか? (華)
2009年10月
『 The only limit to our realization of tomorrow will be our doubts of today. 』
(今日の疑いが、明日の実現の唯一の障害となる。)
− フランクリン・ルーズベルト −
 
十月は月の美しい季節です。今年は3日が十五夜、4日が十六夜と名月を楽しまれた方もいらっしゃるかもしれません。
さて、今月の心に響く言葉は、アメリカの歴史上でただひとり4選を果たし、世界大恐慌や第二次世界大戦の最中に任期を勤めたルーズベルト大統領の言葉です。
日本を敗戦に追い込んだ敵国の大将でもありますが、ルーズベルトの評価は米国「リベラル」派から見ますと、ニューディール政策をはじめ、ケインズ福祉国家的政策の開始は「恐慌への対策を具体化したもの」として「はじめて本格的な貧困層対策に取り組んだ」大統領として知られ、評価されています。

その政策も、ルーズベルト大統領は39歳で病のために下半身が不自由の身となり、車椅子に頼る生活であったからこそ取り組めたのかもしれません。 こうした公私にわたる様々な困難を乗り越えて来た人生の智慧が彼の言葉の中にあります。

この言葉に含まれる「明日の可能性を信じ続ける意志」に、たいへん心を動かされます。明日を信じることは、先ずは自分を信じていることなのです。

私たちはともすれば困難に出会うと、こんなことになったのは「○○のせいだ、関係ないよ」と逃避したくなったり、「なんで俺にこんなことがふりかかるのだ」と恨んだり呪ったりしてマイナス思考の循環をしてしまいます。

しかし、人生のすべて生起してくる現象には「意味があるのだ」と信じて受け止めてみてはいかがでしよう。ルーズベルトは自分の障害を避けるのではなく、受け容れ、それをバネにしたからこそ諸政策に発展したといえるでしょう。
例えばすぐカッカと怒る人が苦手だ、という人がいたとします。「怒ることはいけないこと」として怒りを無意識に抑圧しているのかもしれません。 苦手だったり、嫌いな人物は「自分を映し出してくれる鏡だ」などと言われています。「怒り」はエネルギーに変換される質のもので、怒りを抑圧すると無気力やうつ感情になっていくことがあります。

これを「人生の意味」としてとらえ、「自分は怒る人をなぜ極端に嫌うのだろう」と、避けるだけでなく、あるがままの感情を受け入れてみるのです。 すると「怒り」を抑圧している意味ある自分が見えてくるかもしれません。 物の見方、考え方を変えるだけで「苦」というものの受け止め方も変わって生き方が楽になってくるようです。 

このように、未来を組み立てていくのは「ありのまま受け入れる」ことと、必ず自分にとってプラスになるのだ、と「信じる力」が大切と思います。 (華)
2009年9月
『 己の欲せざる所は人に施すなかれ 』
− 孔子 論語 −
 
九月は雨が多いことから、別名「長雨月(ながめづき)」ともいいます。太陽のエネルギーは秋分の日を境にどんどん陰に傾いて、ひんやりとした冷気が漂いはじめ、万物が収斂し実を結ぶ準備に入っていきます。暑さも次第に引いて物事の思索や哲学には絶好のシーズン、ほんの少し哲学的時間を作ってみませんか?

さて、今月の心に響くことばは「己の欲せざる所は人に施すなかれ」です。
自分が決して望まないことを他者にもしないこと、という真にシンプルなことばです。 これを実践するには相手を思う「愛」と「想像力」が大切です。自分がされて嫌なことは相手もどのように感じるのだろうか、と相手の苦しみ、悲しみを想像すれば自分の言動を戒めざるを得ません。

人は概ね自分の思い通りにしたい、という欲求があるものですが、それを押し通そうとすれば当然ぶつかり合うことにもなります。それをどう折り合いをつけていけばいいでしょうか?自分がされたくないことを他者にしない、ということを発展的に考えていくと、「自利利他」(維摩経)という言葉を想起します。

自利利他とは、仏教のことばで本来は「自らの悟りのために修行することと他者の救済のために尽力することを共に行なうことが大乗の理想」とされているのですが、一般には「他者に利することがすなわち自分を利する」という意味に解釈されていることが多いようです。 たとえばボランティアなどで他者に尽くしていることが、すなわち自分が真に生かされている、ということになります。つまり自分を生かしたければ他人を幸せにする努力をすればよい、ということになるのではないでしょうか。

また「Win−Winの関係」 (『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィー著 キング・ベア出版) についても同様の意味があるようです。 その「Win-Win」の関係は一言でいえば、愛(他者を幸せにすること)の関係で、相手に愛をもって接するという考え方なのです。つまり「人を幸せにすることで、自分も幸せになれる」ということです。

本来、どのような人間関係においても(恋愛、友人、夫婦、親子、同僚などなど)共に幸せになれるはずのものです。互いに思いやりや愛のある「Win-Win」の考え方をぜひ習慣にしたいものです。
ところが自分中心な考えをしたり、損得勘定で、相手と争ったり、足を引っ張ったりすると、「Win-Winの関係」でなくなり、一方が不幸になればいずれそれが自分にはね返ってきて「Lose-Loseの関係」になり、互いに不幸な結果となってしまいます。

「自利利他」「Win-Winの関係」は「己の欲せざる所は人に施すなかれ」を逆説的にいったことばですが、人類全体にこのような態度が浸透していればかなり平和な穏やかな暮らしとなる、大切な智慧だと思うのですが
いかがでしょう。(華)
2009年8月
『 生涯修行、臨終定年 』
− 松原泰道(臨済宗妙心寺派龍源寺前住職) −
 
八月は別名「葉月」といいます。暑さはあるものの太陽のエネルギーも次第に衰えはじめます。「葉月」とは樹木の葉もところどころ黄変が始まり、また初めて葉が落ち始めることに由来するそうです。
諸行は無常なり‥です。      

さて、私の心の師である「臨済宗妙心寺派、龍源寺前住職の松原泰道師」が先月7月29日午前にご逝去されました。享年103歳、これまで入院などしたことがなく、人生初めてのたった2日半の入院で、すばらしく大往生であったと伺っております。   

師のご著書はいろいろ読ませて戴いており、その時々の生き方に示唆を与えて戴き、人生のお手本でもありました。
標記の「生涯修行、臨終定年」のことばは、101歳のときに出された、作家の五木寛之氏との対談集『いまをどういきるのか』に掲載されているのですが、そのことば通りに生涯を送られたそうです。

禅師はその対談集のなかで次のようにお話されています。
『人生はよく旅にたとえられますが、旅にあって力になるのは杖です。(中略)人生において杖の役割をするものが言葉だと思います。その言葉に心を込めて、私の言い方では、心のなかに床の間を設ける。これは「考える間を持とう」と言うことです。(中略)そのような尊い心の床の間に自分の杖となる言葉をひとつかけて、心の中でそれを読むのです‥。』と。                 

「生涯修行、臨終定年」はその杖言葉のひとつだそうです。101歳になられた和尚様には、もう座禅もできないし、草取りもできません。

いま、できる修行は「読む、書く、話す」の三つだけで、頼まれれば原稿も書くし、必要があれば法話も話される、それが「生涯修行、臨終定年」なのだそうです。

また佐藤一齋が言志四録のなかで「たとい視力や聴力が落ちても、見える限り、聞こえる限り、学を廃すべからず」と言われており、この言葉を糧に励んでいます、と述べられておりました。

そのようにイキイキと我々に接してくださるその一方で、何年も意識のない寝たきりの奥様をおいては逝けないと、普段はご本人も寝返りを打てないほど弱っていらしたにも関わらず、施設などにも預けられずに毎日愛しんで暮らしておられたそうです。
その奥様をつい3週間ほど前に亡くされました。その葬儀では車椅子に背筋をシャンと伸ばし、寄りかかりもせず気合に満ちて弔問客のひとりひとりに挨拶されていました。なんという清清しい生き方のカッコ良さ、ほんとうに憧れます。合掌。(華)
2009年7月
『 浩然の気を養うべし。 』
− 孟 子 −
 
七月も中旬になればまもなく梅雨明けです。明けたらまた灼熱の太陽の猛暑に悩まされ続けます。常日頃、心身を養生して対処しないと暑邪に身体を傷め、夏バテや秋に体調を崩すもとになりますので十分にご留意ください。

さて、人生は荒波の海を遠泳していくようなもの、と言われますが、まさに人生の諸象には喜怒哀楽はつきものです。また「人生は苦なり」とお釈迦様が喝破しておられますが、「苦」はつきものなのだ、と悟れば「人生苦」から逃避しないで、しっかりとその「苦」を見つめて、どうすれば乗り越えられるのかを自他ともに励ましあいながら、考えていきましょう。

中国、斉の国に孟子が訪ねて行った時の話です。公孫丑という者が弟子入りしてきて孟子にこう訊ねました。 「もし、先生が斉の宰相になり、先生の説かれている道で政治を行えば、その責任の大きさに対し、多少の動揺はないのでしょうか?」 孟子は「四十を越してから、動揺はなくなった」と応じて、心を動揺させない方法をいろいろ語って聞かせました。

それには「浩然の気」を養うことが大切だと…。

ところでその浩然の気とは、何でしょうか? 天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気のことです。きわめて大きく強く、正しいもので、この気を養えば天地に充満するほどになります。
しかし、天地意思に反して、正義や人道にはずれたことをするとしぼんでしまいます。

孟子は、この気はたくさんの「義(正しい行いを守り、人間の欲望と対立する概念)」が積み重なって生じるもので、羞悪の心(悪や利をむさぼりを恥じる心)が「義」の端であると説かれ、外部から取り入れることなどはできないのです。 これが「浩然の気」で、この気を養うことで潜在エネルギーが膨張してくるのです。

この気を養った人物は、表面は穏やかで物静かでも、ことにあたると粘りがあり、思わぬ実行力を備えているのです。物事にとらわれない、おおらかな心持をもった、リーダーには欠かせない要件、と心したいものです。 (華)
2009年6月
『 学びて思わざれば即ち罔(くら)し。思いて学ばざれば即ち殆(あや)うし。 』
− 孔子「論語・為政第二」 −
 
庭先のアジサイがほんのり色づき始めました。もう水無月、今年も6ヶ月目を迎え、後半はどのようになっていくのかが気になるところです。

アメリカのGM社の破産法申請など、世界的にもいろいろ厳しいニュースが続いています。中流意識層が中心だったこの30有余年、いまや低所得者層が増加の一途を辿る一方、高額所得者層も増加を辿っているそうです。中流が消失したこの所得の2極限化や金融不安時代の流れをみなさまはどのように考えておられるでしょうか? この大きな変化期、ぐっと腹に力を入れ、時代の波を見据えて乗り切らなくてはなりません。 

さて、冒頭の「学びて思わざれば即ち罔(くら)し。思いて学ばざれば即ち殆(あや)うし。」という言葉は論語として皆さまにも馴染みの深いものです。

専門家としての資格試験などを目指すときには、やはりこれは座右の銘として心にとどめておきたい言葉のひとつです。

専門家を目指すわけですから、底の浅いジェネラリストではなく、総合的、複合的な判断、多視点的にものごとを考えられるスペシャリストを目指していかなければ、当然有資格者となっても自然淘汰されてしまうでしょう。学びは生涯のものです。資格試験に合格する、という目標は目的ではありません。合格した後からがさまざまに真の学びになっていきます。

知識を学んだだけでは専門家とは言えないものです。その知識をさらに実践を通しながら思索を重ね、さらに高度な専門知識と技術に仕立てていく必要があります。そのことが面白くて仕方がない、というのが専門家といえるのではないでしょうか?

とにもかくにも、先ずは第一に資格試験に合格し、さらに幅広く教養を高め、専門家としての倫理観に立ち、社会に役立つ人間として成長していくことがもっとも大切な学びとなっていくのではないでしょうか?
2009年5月
『 再びすれば斯(ここ)に可なり 』
− 古代中国の殷の湯王・「大学」伝二章 −
 
若葉の薫る美しい季節、緑はほんとうに人の心を癒します。若葉が日に日に色濃くなるのを眺めるのは目も休息を与えとても良いものです。

さて、冒頭の「日に新たに日々に新たに、また日に新たに」という言葉は禅語としても馴染み深く、暦やカレンダーでもよく見受けられます。
古代中国伝説で最古といわれる夏王朝(紀元前21〜同16世紀)の桀王(ケツオウ)は暴悪な政治であったため、湯王(トウオウ)は夏王政を倒し、殷国(紀元前16世紀頃〜前11世紀頃)を創始し、以後600年ほど殷王朝は続きました。その湯王は、意思の盥(たらい)に『苟(まこと)に日に新たにせば、日々新たに、また日に新たなり』と彫み込んで、毎日、洗面や体を洗いながら自戒していたと伝えられています。
刻々と情勢が変化する世の中で、今度はいつ倒されるとも限らない戦国時代となれば、日々安閑とした油断を自ら戒め、しかしまた不必要な怖れは自らを滅ぼすものとして、日々に生かされていることに、つまり日々新たに生まれ変わっている自分の三命(宿命・運命・使命)を厳然と受け止めていたのではないかと想像します。

禅的生活とは「いま、ここ」を懸命に生きる生活です。過去に心を置きすぎれば「後悔と愚痴」になり、また未来に心を置きすぎれば「不安と妄想」のとりこになりかねません。過去も未来も現実からは遠のいていきます。「いま、ここ」で起きていることに心を据えれば、それが余計な不安ももたずに未来にもつながっていくものです。
このことは誰でも頭の中にあり、知ってはいるのですがなかなか実際には難しいものです。
生き方上手とは、このことがストンと腑に落ちることだと思います。

昨今は世界金融恐慌、新型インフルエンザ、雇用不安など、未来の明るさより暗さの方に心が向いてしまいがちですが、いま、できる努力をしていればいずれ必ず機会は訪れてくるものです。

また社会や社会を構成する個々人において、大きな革新をして変化・進歩をしていかなければなりません。その変化が必要な時、大切なことは、社会も個々人もこれまでのあり方をガラリとかえる革命的なことより、日々に少しずつ変化していきながらスムースに革新していく「維新的変化」のほうが理想的といえます。
日々に新たに、生まれ変わりながら、変革していきたいものです。
2009年4月
『 再びすれば斯(ここ)に可なり 』
− 孔子 論語・公冶長第五 −
 
春四月、桜前線も日本列島をぐんぐん北上して、国土を桜色に染めていきます。どの花も美しいのですが、日本人にとって桜は精神性との結びつきもあってか格別に愛でられております。

江戸時代の有名な学者、本居宣長は「敷島のやまとごころを人とはば朝日ににほふやまざくら花」と詠んでおります。この歌の意味を云々する説は多々あり、どのように受け止めても、また感情移入しても構わないと思います。
が、私としては、桜花がわずか二週間ほどの限られた期間「いま、ここ」を懸命に生き抜く姿に、憧憬と美学を感じるのです。つまり精一杯に自分のいのちを咲き切る桜花のようにありたい、と受け止めております。

「明日があるさ」という思いも時としては大切かも知れませんが、「明日はないのだ」という潔い心持ちで身辺を整えて生きることもまた清々しいものです。東京FM放送で小耳にはさんだのですが、キャンプ場でのキャンプファイアの燃え残しをしない、運動を推進している方が「残すという行為は、燃え残しにしろ、食べ残しにしろ汚いものです。」と仰っていたのが印象的でした。残す行為と、未練たらしいのは美しくないですね。

さて、本題の「再びすれば斯に可なり」ということばをどのように自分に活かすか、ということなのですが、思いつきだけでやりっぱなしをしない、ということだと思います。仕事も学問も試験も「二度あると思うな」という姿勢でつねに気を入れて臨むことが大切だと思うのです。

たとえば身近な手紙を書いたり、文章作成でも一度だけではなかなか見落としがちな、あるいは不完全なことも、再びそこで見直したり、検討しておくとよりよくまとまり、「見直しておけば良かった」と心を残さずきっぱりと前に進んでいけます。時間的な問題もありますが、完璧性を望むということでなく、ひとつひとつ丁寧にやっておけば過失を免れます。

四月に新入社したフレッシュマンの心得として参考にされてください。
2009年3月
『 己れに如かざる者を友とすること無(なか)れ 』
− 孔子 論語・学而第一 −
 
今月、三月は出会いと別れの月ですが、とくに友との出会いは大切です。また三月には「新しく始まる」「発展する」などの意味があります。大学へ新入学された方、また就職困難時代に晴れて新入社員になられた方、あるいは再就職にこぎつけた方などいろいろですが、あらたな人間関係が始まる機会が多いものです。そのようなときに、大切な人生を織りなす「友を選ぶ」ことは極めて重要なことといえます。

標記のことばの大意は「自分が尊敬したり、感心したりする相手でないと付き合うことはしないほうが良い。」というものです。年齢の上下、環境の違いなどに関係なく自分が及ばない、と思う友との付き合いは自分の世界(視野)を拡げ、また自己成長を促す刺激を与えてくれるものです。むろん、相手からもそのように感じてもらうためにも「自分磨き」を怠らず、難しい資格や、さらに別の資格試験に挑戦していくことなども自分にとっても眼には見えない益があるものです。

ところで、人生という時間は有限です。安閑と流れていく時間はもったいない! ことです。ですから「付き合う人」は自分に良い意味での刺激を与えてくれる人と一応決めておかれてはいかがでしょう。
年上の人は「経験からの智慧に学ぶ」ことや「年を取ることそのもの」を考える刺激をくれます。

若い人からは「知的好奇心」や「型にはまらない斬新な思考やアイデア」「行動力」など刺激を受けること大です。同年の世代の人からは、「具体的な問題の超え方」などいろいろな考え方に刺激を受け、自分ならどうするか、と視点を決めやすくなります。畏友から同輩まで、「すべてが、吾が師」です。

暖かくなる今月はいろいろな場所にも顔を出され、新しい友人との素晴らしい人間関係が始まることをお祈りしています。
2009年2月
『 聞くこと少なき人はかの犂(すき)をひく牛の如く、ただ老ゆ。 かれの肉は増せども、かれの智は増すことなし。』
−法句経 152−
 
今月は「いまをどう生きるのか」(松原泰道師と五木寛之氏の対談集)のなかから、みつけたことばをお届けしたいと思います。
「聞く」とは法(真理)、よい教えを聞き、また学ぶ、ということです。それまで分からなかったことが分かるようになり、明らかになってきますと、同時にまた不思議なことに「疑問」も増えてきます。さらに学びたい、という心が湧きあがり、精神が衰えないのです。それがないとただ牛のように智(心・精神)もなく、肉体が老朽していくだけです。

さて標記のことばは、釈尊が80歳を超えられての伝道布教のおり、弟子の阿難に、自分も年老いた、体も古い廃車のように革紐の助けによってやっと動いているのだと話されます。しかしながら「心ある人の法は老ゆることなし」ともいわれています。

つまり、心に法(真理)を具えている人は、身体は老いていっても、心は老いる(朽ちる)ことがないのです。法をよく聞いて、法をよく身につけている人は心が柔軟で素直ですから、老化しないのです。また互いに心的交流してその法を学びあっています。学び心を持つ人は精神がいつも新鮮だから老いていかないのです。

学ぶ、ということはむろん知識を得ることのみではありません。一生涯に自分の身に起きてくることすべてが学びといえます。だから法に照らし合わせて考察すれば、おのずから現実を受け入れ時期をまったり、機会をまったりできるのです。

法(真理)とは端的にいえば、諸行無常と諸法無我の真理です。「諸行無常」とは、すべてのことは変化し続けていくものだ、ということです。また「諸法無我」とは、宇宙のすべてのものごとが互いに繋がりあっているという世界観です。さらにそれらを悟れば、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)といい、そのふたつのことを心にストンと落とすだけでも、目の前の現象にやたら振り回されず、心はざわつかず安らぐものだ、ということです。それを三法印といいます。

たとえば、年老いて嘆いている人がいるとします。その人が、人間は必ず年老いて死んで行くものだ(諸行無常)、と深く覚ったとします。 と、老いることを嘆く前に、自分のできることを「気力や目が確かなうちにしっかり学んでおこう」とか「健康的に老いる工夫をする」とか、いろいろと前向きな生きかたの姿勢に心が転換していくのです。これがよりよい生きかた、精神の若々しさにほかなりません。生きる、ということは即ち自分の人生の創意工夫だといえるかもしれません。(華)
2009年1月
『 年頭自警
一、 年頭まず自ら意気を新たにすべし
一、 年頭古き悔恨を棄つべし
一、 年頭決然帯事を一掃すべし
一、 年頭新たに一善事を発願すべし
一、 年頭新たに一佳書を読み始むべし 』
−安岡正篤−
 
2009年初めのことばは、東洋思想研究家で陽明学の実践家である、安岡正篤氏のことばです。安岡氏は「平成」の元号の考案者としても知られていますが、人間としての生き方に多くの示唆を遺してくれています。昭和の政治家にも大きな精神的影響を与えてこられた人物のひとりです。

さて、「念頭自警」のはじめの三つをまとめてみますと、
昨年までのことはいろいろあったにせよ、抱えこんだり引きずったりしないで、心のうえですべてきっぱりと捨て去って、新たな気持ち、新たな心意気で出発しなさい!
と言われております。

新しく踏み出すときには過去と決別しないと進んでいきません。陶淵明の詩にあるように「人生別離たる」のとおり、さよならだけが人生です。なにごともずるずると引きずらないで潔く整理していきたいものです。

そうしたら次のふたつです。

今年新たに「ひとつ、何か善いことを実践し始めましょう」。
一日一善を行うもよし、なにか一善を気長に繰り返すことでもよし、です。できれば他人に尽くすことができるなら、さらに自己の運もあがります。

またもうひとつは、読書尚友で
「自分を高めてくれる良書をじっくり読み始めましょう」。
古人の知恵に学ぶことは、歴史に学ぶことです。

これらを今年の計画に組み込んでみられてはいかがでしょう。

ところで、年頭にあたり皆さまはどのような年計を立てられましたでしょうか?新しい年を迎えると何かワクワクとするものです。どのような人生の
1ページが開かれていくのでしょうか?

一年の計は元旦にあり、一日の計は朝にあり。計画がきちんと練られたものなら、あとは行動しながら現実にあわせ微調整すればよく、人生という有限の時間を、さらに有効に活用することができます。

ただ、立てた計画が、仕事や雑事をこなすものが中心になってはいないでしょうか?人生の最大の目的は「人間的成長」です。有名大学入学、優良企業に就職、良き伴侶との結婚などなどは単に人生途上の目標に過ぎません。
自己成長させるためのプログラムも是非加えておきましょう。
メンタルトレーナー的な存在を求めるのも良いかもしれません。

人生にはいろいろな困難が待ち受けております。その困難に遭遇したときに心がそのことによって大きくぶれずにすむためにも計画はしっかりと立てて、人生の究極の目的は何かと、と日ごろから肝に銘じておく必要があります。
2008年12月
『逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎(お)かず。』
−孔子(論語)−
あるときに、孔子が川のほとりにたたずんで、とうとうと流れる川を眺めながら次のように言われたそうです。「ああ、過ぎて行くものはこのように、一刻も休むことがなく、流れて行くのだなあ」と。光陰矢のごとし、あるいは光陰流れのごとし、というように、時はこの川の流れに似て一瞬たりとも止まることなく流れ続けます。うかうかしているとただ人生という川をただ流れさせているだけ、になりかねません。
ちなみにアレキシス・カレル(フランス・外科医、生物学者)の著書「人間-この未知なるもの」のなかで、時間は物理的な時間と人間の肉体的な時間の二種類があることを述べています。たとえば同じ速さで流れる川のそばを朝早くどんどん進む歩いたときと、夕方に疲れて足を引きずるように歩いたときは、川の流れの早さが違って見えます。これは人間の生理的な時間である、といっています。
このように年齢を重ねてくると、子供のときと違って毎日が恐ろしい勢いで過ぎ去り、一年あっという間に過ぎて行くように感じるものです。このことは、いきおい「明日があると思うな」という戒めに感じます。一日一日を今日為し得ることを明日に延ばさないようにと肝に銘じ、計画を練るときから充分に時間配分に配慮したいものです。テレビ、電話、むだな酒席のつきあいでズルズル、ダラダラは、やはり時間の無駄遣いのなにものでもありません。そのような相手とは遠ざかるほうが賢明と思います。ただでさえ多忙な年の瀬です、時間はおおいに有効に活用したいものです。
2008年11月
『行くに径(こみち)に由(よ)らず。』
−孔子(論語)−
行くときは少々遠回りであっても、大きい道を行きなさい、という意味で使われています。渋滞のときなど道がこんでいるからと、裏道を走ったほうが早いような気がするものです。
しかし到着してみれば、僅か数分の、さほどの時間節約にもなっていないことがあるものです。むしろ、ばたばたして裏道に入って、面倒が起きたり、事故になったり、と良いことが起こらないことさえあるものです。また大道は混んでいるようでも案外たいした混雑でないことも多いものです。
この意で、何事においても、裏道を行くようなことをしても、結果は大差がないか、逆に思わぬ誤算が待ち受けていたりするものです。裏道を行き、成功することもありますが、長い目で見ればやはり正々堂々と大道を進んで行くほうが間違いないですよ、との戒めを言われています。
あわせて「急がば回れ」ということばも同様に「急ぐときには危険な近道を行くより、遠くても安全な本道を通るほうが結局は早いものです。」安全で着実な方法を取りなさい、という戒めです。

ちなみに「急がば回れ」の語源ですが、室町時代の連歌師・宗長の歌の「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ 瀬田の長橋」です。「もののふ」とは武士、「やばせの船」とは「矢橋の渡し」のことです。「矢橋の渡し」とは、東海道五十三次草津宿(滋賀県草津市矢橋港)〜大津宿(大津市石場港)を結んだ湖上水運で、「瀬田の長橋」とは日本三大名橋のひとつである「瀬田の唐橋」のことです。当時、京に向かうには、矢橋から琵琶湖を横断する海路のほうが、瀬田の唐橋経由の陸路よりも近くて速いのですが、比叡山から吹きおろす突風(比叡おろし)により危険な航路であったため、このようにうたわれたのです。

最近、スローライフ、スローフードなどのことばに象徴されるようにじっくり、ゆっくりと人生や食物などを熟成させていくライフスタイルが提唱されています。あわてて成したものにろくなものはできないですし、仕上がりも今ひとつ、です。なにごともおいても、じっくり、ゆったりと構えて実相を観察し、機が熟すればすばやく行動を起こすことが肝要だと思います。
2008年10月
『呼吸とは、呼は息を吐くことであり、吸は息を吸うことであります。まず吐いてから吸うのでなければ本当の呼吸とは言えない。ところが、大抵の人は吸呼している。吸ってから吐いている』
−安岡正篤(まさひろ)−
「安岡正篤、こころを磨く言葉」から引用しますと、『無意識に行っている普段の呼吸は浅いレベルで行われています。つまり呼吸しても肺に空気は残っていてすべて入れ替わっているわけではないのです。まず意識的に息を吐き出すと、沈殿していた「一息」がホッと吐き出され、次は息を吸おうと思わなくても自然に空気を取り入れることができます。』(池田光著)

「息」とは「いきる・いきている」証しなのです。呼吸が止まれば即、死にいたるのですから。呼吸とは「生」の原点と言えます。息を整え、良い息をすることは即ち「良い生きかた」ができる、ということになります。
かつて調和道丹田呼吸法〈創始者・藤田霊斎〉を伝承している鈴木光弥先生に師事していたときに教わったことですが、上半身の力がすっと抜けて、上虚の姿勢になっていると商談、スピーチ、試験など何かを行うときに普段以上の力を出すことができるのだそうです。上体が力めば胸郭は筋肉で固められ自縄自縛状態になります。胸郭が自由に広がったり、縮んだりすることを制限して、呼吸を浅く弱いものにしてしまうのです。この呼吸への弊害は心身に多大な影響を及ぼしていきます。
上虚について鈴木先生が山崎闇斎(あんさい)の『有感』言う詩を紹介してくださいました。

『そぞろに思う天公世塵を洗うかと
雨過ぎて四望更に清新
光風霽月(せいげつ)今なおあり
ただ欠く胸中洒落(きょうちゅうしゃらく)の人』

「胸中洒落の人」とは何のわだかまりもない人、さらりと力の抜けた人のことをいいます。雨上がりの爽やかな光る風のような人、晴れた夜空に輝く月のようにすっきりとした、光風霽月のような人は僅少だけど存在しますが、胸中洒落の人はほとんどいない、と言われます。
胸中洒落とは、言い換えれば禅でいう「放下著(ほうげじゃく)」『五家正宗賛(ごけしょうじゅうさん)』の趙州(じょうしゅう)和尚の章にある話』です。「放下」とは投げ捨てる、捨て切る、捨て去る、の意です。「著(じゃく)」とは命令の助辞〈じょじ〉で、放下の意を強めており、つまり「放下著」とは、すなわち煩悩や妄想はいうに及ばず、仏や悟りということなども捨て切り、すべての執着を捨て去りなさい、すべて放下しなさい!ということです。
なんと清々しい心境でしょう!日ごろ、妄想、煩悩に振り回されあくせく暮らしているわれわれも、息を深くして上体を柔らかく、腰と肚(はら)に気を落とし、ゆったりとした精神になって1ヶ月に一度くらいは「放下」の心境、屈託のない心になってみませんか? 腰と肚の文化は日本の貴重な伝統文化です。ぜひ次世代に伝承していきたいものです。
心に何かつよい蟠り(わだかまり)を持っていると、その人物の気のオーラが濁ってきます。内面からきらきら清らかに輝きだす「気」を創るのには、正しく深く丹田呼吸法をすることが大変に有効である、と思います。(華)
2008年9月
『人間はどんな境遇にあっても、自分だけの内面世界は創り得るのです。いかなる壷中の天を持つかによって、人の風致が決まるものです。』
−安岡正篤(まさひろ)−
これは昨年10月に発刊された「安岡正篤、こころを磨く言葉」の一節ですが、以下のように池田光氏が解説をされています。
安岡が揮毫(きごう)の際、よく書く言葉に「六中観(りくちゅうかん)」があります。「忙中閑あり 苦中楽あり 死中活あり 壷中天あり 意中人あり 腹中書あり」というものです。このうちのひとつが「壷中天あり」ですが、これには『後漢書』方術伝に故事があります。
昔、汝南(じょなん)の役人をしていた費長房(ひちょうぼう)という男が、薬売りの老翁に頼み込んで壷のなかに入れてもらい、金殿玉楼がある別天地の楽しみをしたというのです。
さて、この言葉に三つのポイントが伺えます。

@ 人はどんな世俗の生活にあっても、別天地の楽しみをすることができる。
A そこで、どういう別天地を持つか、内面世界をつくるかがポイントになる。
B この内面世界こそが、その人間の趣を決める。

ということです。その内面世界が現実世界にあって、どこか俗世を超越させてくれるのです。それが風雅をかもしだします。

現実がどうあれ、人間の味わいとは「いかなる内面世界をもっているかによるもの」だということは、いわゆる「道」を学ぶ方たちの自他のなかに大なり小なり経験的に感知されているのではないでしょうか?

所詮、この世は夢を見ているようなもの、現象に振り回されすぎないことも肝要かと思います。自分はどのように生きたいのか、イメージしてみましょう。「玉も磨かざれば光なし」という言葉がありますが、玉は「魂」です。内面から輝きを放つには、艱難辛苦を忍耐をもって、また別天地である内面世界をもって霊性を高め、魂を磨きながら、悠然と生きていきていきたいものです。

人間の生活は創造的生活の連続ですから、常日頃から精神に刺激を与え、心田を耕し柔らかくし、いろいろな発想が育ちやすくしておくことが肝要と思います。ちなみに生命力(=エネルギー)は精神的刺激を受けることで湧きあがってくるもので、その生命力が弱まれば創造力も鈍くなってきます。

とかく苦労があるときは自信を失くしたり、愚痴や不満、ひいては怨みごころを募らせたりしやすいものです。苦労は自分が伸びる、成長できるチャンスととらえ、苦労や難儀を活かしましょう!
偉人から学び、自分磨きをして内面を高みにおきましょう。自分なりの別天地を持とうではありませんか!
2008年8月
『水五訓』
−黒田 如水−
一、自ら活動して他を働かしむるは「水」なり。
二、障碍に遭いて激し、其の勢力を百倍し得るは「水」なり。
三、常におのれの針路求めて已まざるは「水」なり。
四、自ら潔うして他の汚濁を洗い、而も清濁併せ容るるは「水」なり。
五、洋々として大海を充たし発して蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ、凍っては玲瓏たる氷雪と化す。而もその性を失なわざるは「水」なり。


8月はまさに「水」のシーズンですね。河川、海、プールなどに涼を求めて出かける方も多いのではないでしょうか?本年の暦では「一白水気中宮」の年まわりにあたり、併せて地球の温暖化で水蒸気が多くなっているため、豪雨、河川氾濫、水の事故も多くなりそうですからくれぐれも注意したいものです。

ところで「水五訓」は黒田官兵衛孝高〔如水(じょすい;安土桃山時代の軍師)〕のことばとして有名ですが、もともとは陽明学の王陽明(おうようめい;中国明時代の儒学者)から出たようです。如水は江戸時代後期に活躍した歴史家、文人、漢詩人で、詩吟の「鞭声粛粛夜河を過る〜(べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる)」で始まる川中島の合戦を描いた詩でも知られる人物です。「如水」という名のとおり処世 訓は「水の如し」の生き方としたのでしょう。

この五訓の水のありようから学び、人生をいかに生きて行くか、処世訓として次のようにくみとってみました。

1、たった一人の思いや活動が、万人に波及していく、一念三千世界。
2、目標達成のためには障碍を乗り越え、結束力を強め前進する。
3、自ら進むべき方向、方針をしっかりと見極める。
4、多様な社会のなかでは清濁併せ呑む器量をもち、自らは潔くして周りを教化していく。
5、水の如く「時と場」に応じて柔軟に変容しつつ、本来の個性を活かした生き方に徹する。

水は方円の器に従い、また高きより低きに流れていきます。その柔軟性とともに、多くの集りになるとその破壊力はすさまじいものがあります。一滴の雨水が寄り集まって大河をなし、やがて大海に注ぐイメージとともに人間社会の仕組みと似ていて興味深く、微小な水一滴、人間一人一人の存在と力を尊重しなければ大事大計は成らないことを痛感します。

また「水」はすべての生命の発生起源でもあります。神というのは、火(か)と水(み)の光合成で創造された生命体のことのようです。つまり人間社会も一人一人の神さまの集りであるのでしょう。

人体はその六割以上が水分で成り立っており、また食料がなくとも水だけ飲んでいれば数週間は生き延びられるというほどです。いかに「水」というものにわれわれが支えられているかを痛感します。
酷暑のなか、涼しい滝の音を想像しながら、水に学び、水に支えられていることを心から感謝しているところです。
2008年7月
『子曰く、人の己(おのれ)を知らざることを患(うれ)えず。人を知らざることを患(うれ)うなり。』
−孔 子−
孔子がおっしゃいました。他人が、こちらの真価を知ってくれなくても、気にかける必要はないのだ。それよりも、自分が、他人 の真価を認めないことを、心すべきである。 (史跡足利学校の論語抄抜粋)

現代の多様な価値観をもつ人々のなか、相手の承認を得たり、また相手を承認していく、ということは至難の技かもしれません。
これは表面的に受けとめますと、相手が自分の値打ちを認めなくても気にかけずともよい、むしろ自分が相手の値打ちを認めて行くことが 大切、というように受けとめられます。が、実はたいへん奥の深い意味があるのではないかと思うのです。

ところで話は変わりますが「人に認められたい」という承認欲求は基本的には誰にでもあるものです。しかし、日本の伝統的精神文化はこ のような心を表出するのは「はしたない」「見苦しい」として、あまりよしとしてきませんでした。なぜでしょうか?

現代は欧米文化との交流とともに次第に健全な自己主張として、当然のように自己アピールなどが行われるようになってきました。コーチ ングの技法にも「承認欲求」を認めることが最重要としています。

自己実現論でよく知られているアブラハム・マズロー(Abraham Maslow・米・心理学者)が唱えた説で「マズローの欲求段階説」というのが あります。 彼は「人間は自己実現に向かって、絶えず成長していくものだ」として5段階説を表しました。実証研究としては不十分な面 があるとされながらも経験的、直感的にはとても解りやすい説と思います。

この「マズローの欲求5段階説」は、欠乏充足欲求(食欲、性欲などの生理的欲求)のような低次の欲求レベルが満たされてはじめて、より 高次の成長欲求を実現していこうとする動機が現れるとしています。
その5つの実現欲求動機の階層のなかで「評価・承認欲求はレべル4」であり「レベル5の自己実現欲求」に向かうためには、この欲求を 満たさなければ成長動機は希薄である、としています...。

自己実現とは一言で言えば「自分が自分になる」ことです。心理的な自由性を持ち、自分の個性をあるがまま受け容れ、芸術を楽しみ、自 然愛、人類愛など心豊かな状態になれるということです。
仏教や心理学者のなかでは、この5段階説をさらに高次の6段階説として「超自己実現」と唱えている学者もおられます。

さて、冒頭の孔子のことばに戻りますが、深奥にあることというのは、簡単にいえば、われわれは生まれながら、既に「豊かな自分」を戴 いているのだ、という「命の存在の根源」を自覚することが大切だということです。宗教的に言えば神の子、仏の子の自覚というのでしょ うか? それを自他のなかに見出して行くことに心せよ、と仰っているように思われます。

それは変化しやすい価値、評価、尺度を越える、絶対的なものなのです。孔子の「己を知らざること、人を知らざることを患える」は、そ の存在の根源のことを指しているように思えてなりません。

財貨や名誉、人からの愛情を得られても自己充足感の無い人も多く、むしろ空しさを覚える人も多いようです。
人は究極、何を得たいのでしょうか?

忙しい人生の中で、このことを考える時間を少し割いてみませんか?
2008年6月
『あせることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。あせりはあやまちを増し、後悔は新しい後悔を作る』
−ゲーテ−
あなたは向上心が強いほうだと思われますか?
向上心が強い人ほど、理想の自分と現実の自分を比較して「あせり」を感じているようです。
しかし、「あせり」は、絶妙なタイミングを見落としたり、大切なことに気がつかなかったりすることが多く、禁物です!
あせる理由は何なのでしょうか? じっくり自問してみることが大切です。
タイミングは「運」とともにやってきます。
タイミングを見極め、行動できるために、「学び」はコツコツと重ね、続けておきましょう。
そうしていつでもスタンバイ状態に自分を「あたため」ておくことで「運」をつかみ易くなります。
あせらずあわてず「チャンス」は(策を)練ってまちましょう。
「運」を逃したとき、ほとんどの人は後悔で、心が後退してしまいます。
後悔は、そのことにとらわれ過ぎて、人が前に進もうとするエネルギーを奪います。
後悔するより、一歩、前進するために(行動を起こす)現実的で具体的な検討をしてみましょう。
自分が「何を得るために、どのような目標を立てている」のか?
その達成のために、自分の持っている能力(資格、技術、お金、人柄、人間関係など)をチャートなど作って再検討し、「後悔するような経験」を経験知として活かし、さらに前進できるようになりたいものです。
ただ、行動したあとの「振り返り」をしてみることは重要です。
「後悔先にたたず」「過去と他人は変えられない」などのことわざもあります。
あせったり、慌てたり、後悔するまえに「よく練り上げた企画(行動計画)プラン」を今月は作成してみませんか?
2008年5月
Life is beautiful in spite of all its sorrow and care.
「苦労や、悲しみも多いけれど、やっぱり人生は美しい。(ルーシー・モード・モンゴメリ)」 
−Lucy Maud Montgomery−
5月1日はメーデーですね。
昨今は派遣社員、ワーキングプアなどの雇用労働問題など山積し、労働者の雇用条件もますま す厳しくなってきております。
アメリカはじめ、日本、ドイツなどかつての経済先進諸国が経営経済効率を追求した結果、高賃金の自国内の労働力を使用せず、安価であ るインド、中国、東南アジアなどへと求人が流れ、自国内では派遣社員、パートにその労働力を求めることとなりました。
まだまだこの流れは治まらず、若い人に限らず「働ける」場が減少傾向にあります。
いずれにせよ人間にとって働ける場があることはほんとうにありがたいことです。
さて、先述の言葉は、小説『赤毛のアン』で知られているモンゴメリの日記の中に出てくる言葉です。
この言葉を含む前後の文章は概ね以下のように訳されているようです。
『ああ、働ける限り、私たちは人生を美しくできる! そして、人生は、悲しみと苦労に満ちているにもかかわらず、美しい。』
この事実に私は日々改めて気づき、人生の美しさがよりはっきりわかるように思う。
この世界には、私たちがそれを見る目やそれを愛する心や自分自身で集める手を持ってさえいれば、こんなにも多くの素晴らしいことがあ る。
狭く限られたところにさえ、生活のいたるところに喜び、楽しみ、感謝すべき多くの素晴らしいことがある。』
自分の人生をどのようにとらえるか、すべては自分の感受性次第です。
喜び、楽しみ、感謝もなく、人生を素晴らしいものだと感じられないなら、人生の素晴らしさとは何か、と探しだして焦点を合わせてみた いものです。
仏教では「唯心所現」といい、自分が思ったり意識を合わせたこと(フォーカス)が現実として現れてくるのだといわれています。
プラス思考が大切なのもうなずけますね。
あなたにとって美しく素晴らしい人生とは何でしょうか、それを手に入れたいと思うのな らもっと深く人生を探求し、生きるとは何か、に意識を向けてモンゴメリのように人生のほんものの美しさを感じてみませんか!
2008年3月
「盛年不重来 一日難再晨 及時当勉励 歳月不待人」
「盛年(せいねん)重ねて来らず、一日(いちじつ)再び晨(あした)なり難し、時に及んで当(まさ)に勉励すべし、歳月は人を待たず」 
−陶淵明−
これは中国の陶淵明の「勧学」という詩で、「五言絶句(ごごんぜっく)」のように扱われていますが、五言古詩の漢詩で「雑詩」の後聯(こうれん。律詩の第5・第6の両句。対句。)です。
本来の意味を変え、「酒の詩」が「学問の詩」に化けて重用されています。
この世は諸行無常で、時は容赦なく刻々と流れて行きます。
若い時期というものは、朝が一日に二度はこないように、再びは訪れてきません。
大切な時間を迂闊にもボーッと過ごしていると20代きょろきょろ、30代うろうろ、40代にへなへな、になりかねません。
歳月は人を待ってはくれません。このことは若い人たちばかりに限ったことではなく、われわれすべてにしっかりと生きよ、とのメッセージとして感じ取れます。
たった一度だけの人生、「いま、ここ」をしっかりと地に足の着いた生き方をしていきたいものです。
もうひとつ、三月にはつきものの「別れと出会い」「お酒」に関連して想起される漢詩があります。
于武陵(うぶりょう)の五言絶句「勸酒(酒を勧む)」です。
「君に勧む金屈卮(きんくっし)  満酌辞するを須(もち)いず  花発(ひら)いて風雨多し  人生別離足る」
この漢詩には井伏鱒二の名訳で、「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ」 (井伏鱒二『厄除け詩集』 注; ハナニアラシノタトヘとは「月にむらくも叢雲、花に風(=嵐)」のことで、とかく物事には邪魔が生じやすいことのたとえ。)すべてのものごとは移りゆき変化していきます。
またなにごとも会うは別れの始めともいいます。
新しい春には新しい出会いをするために、切り捨てるべきは切り捨て、新たに進むことが肝要かと思われます。
2008年2月
『 Youth is not a time of life, it is a state of mind.It is a temper of the will, a quality of the imagination,a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love of ease. 』
【Samuel Ullman (サミュエル ウルマン)】
これはサミュエル ウルマンの有名な詩の「Youth(若さ)」という一節です。
あのマッカーサー元帥が座右の銘としていたものだそうですが、この詩はご存知の方も多いのではないでしょうか?
松永安左衛門の訳によれば「”若さ”とは人生の一時をいうのではない。
それは心の状態をいうのだ。たくましい意志、優れた想像力、燃ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を乗り越える勇猛心、安逸を振り切って冒険に立ち向かう意欲、
こういう心の状態を”若さ”というのだ。」
「若さ」は宝だと思います。
しなやかな思考、軽いフットワーク、 それだけでも身体の細胞がイキイキしている感じがするものです。
長寿国のわが国には百歳以上の人が二万人以上もいらっしゃって、その生き方にはしばしば驚かせられ、 若者より「若さ」を保っていらっしゃって感動します。
若くいられる「かきくけこ」というのがあります。
「か」 感動する。
日々の暮らしのなかで、五感を使うことです。
感性が豊かだとイキイキとしていられます。
「き」 記録する。
五感を動かし、感動したことをメモにしたり、自分史などを書きまとめたりすることは脳の活性化につながります。
「く」 工夫する。
人間は創造するために生まれている、といっても過言ではありません。
日々の暮らしは創造そのもの、そのなかで創意工夫をしていくことが充実感を達成します。
「け」 健康である。
心身ともに健やかであることは第一の財産です。
健全なる身体に健全なる精神宿る、とは一面の真理でもあります。
「こ」 恋をする。
いわゆる恋愛というものでなくても、人を恋う、という行為は、おしゃれ心、 みだしなみなどに気をくばるようになり、若々しくいられます。
もうひとつは心理カウンセラー深沢道子さんに20年ほど前に教えて戴いたアメリカ版の 「若くいるための5C」です。
【Curiosity】好奇心。〜したい、という好奇心。
【Change】 変化。その場に即応し、しなやかに変化させていける力。
【Communication】コミュニケーション。人と交わって刺激を受ける。
【Commit】専心。興味、関心のあることに没頭できる情熱。
【Cash】 現金。若くいるための自己投資には必要。
みなさまにおかれてはいかがお考えでしょう?
老化とは頭脳も神経も身体もひたすら硬くなっていくことです。
死とは硬直状態をいいます。
「若々しさとは年齢ではない」というサミュエル・ウルマンのこの詩のように 「心の状態を若くしておく」ことが、 疲弊した現代社会に生きる私たちに必要不可欠なことなのではないでしょうか?
2008年1月
『年をとるにつれ、強者と弱者、大物と小物を分ける大きな違いが、精力と揺るがざる決意、 生死をかける目的にあることを、ますます確信するようになった。この世で成し得るどんなことも、 どんな才能も、環境も、機会も、それなしには人を、真に人たらしめることはない。』
−リチャード・バートン卿−

(19世紀、英の探検家)
すべての願いが現実になる、「引き寄せの法則本」が相変わらず隠れたブームです。
前掲は1906年に刊行された、シカゴの法律家でニューソート運動の先駆者、ウィリアム・W・アトキンソン 著の「引き寄せの法則=(林陽訳)」に述べられている言葉ですが、願望が実現する、しないの違いは どこにあるかをパートン卿が端的に説明しています。
ナポレオン・ヒル博士の「思考は現実化する」など 成功哲学書などにもみられる、宇宙の原動力を動かすには何が最も違うのでしょう?
それは「精力」と「揺るがざる決意」の二つがあるかどうかなのです。
その二つが堅固な壁、大きな障害物を乗り越えさせるのであり、しかもそれらは同時に使わねばなりません。
堅く決意しなければ「精力」は浪費されてしまい、また「精力」はあり余っているのに集中力がなくて、 焦点を定められないと実現化していきません。
精力がみなぎっているのにうまくいかないのは、 たいして興味もないことに精力、神経、時間を浪費しているからなのです。
それと「揺るがざる決意」に 欠けていると、他者を魅了する強い力を発揮できません。
やるべきことに向かって全力を一点に絞り、 意志の力で「揺るがざる決意」を誘導すれば、願望を遂げることができます。
心の底から「やる!」といえるところまで奮起することが大切です。
そこに到達すれば後戻りせず「意志」と呼ばれる大いなる力を発揮できます。
「意志力」を研究してきた人は「意志=想念」が宇宙の大原動力の一つであり、正しく集めて誘導しさえ すればほとんど奇跡といえることを実現できる、と知っています。
創造力は想像力から発し、想念は宇宙意志に繋がっており、人、もの、資金、情報、必要なことはすべて 自分に引き寄せてくるのが可能とされています。
世の達人と言われる人たちは、我々とそうそう変りません。
違うのは、心の資源の使い方を知っている、ということなのです。
さて、今月は、次のことを実践してみませんか。
  • あなたはこれからの人生において、どのような願望を達成・実現させたいと願っていますか?リストアップしてみましょう。
  • 次にそのリストのなかから、是非とも実現させたい願望をいま、ひとつだけ選ぶ、としたら何を選びますか?
  • 最後にその願望が実現したところを強く、何度も繰り返しイメージしてみましょう。イメージしやすいようにコラージュ(写真、文字など切抜き)を目に付くところに張っておくのもよいでしょう。
熱烈、強烈な想いだけが、もろもろの障害を乗り越えさせます。そして求めれば求めるほど、 それを得る「引き寄せの法則」の力は大きくなります。一度にひとつのことだけを願いましょう。 二兎を追うもの、一兎をも得ず、です。また負の思いも引き寄せるのでこれは要注意です! 

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